終業式

 明日からホリデーに入る。
 Taikiのクラスでは、先生に感謝する、持ち寄りパーティーがあるので、何を持って行こうかと考えた末、唐揚げを作ることにした。
 鶏肉は味をしみこませて、あとは揚げるだけ・・。いざ、フライヤーをオンにすると・・icon-ga動かない・・。
暖房器具は、次々と壊れていく。少しずつ使えなくなっていく暖房器具を眺めながら、日本製のものがいかにすばらしいか、痛感しつつため息をつく日々だ。
だけど、フライヤーまで・・「このタイミング?!」という感じである。 
 勿論、フライパンを使えばいいのだけど、ちょっと悔しいので、色々ガチャガチャやっていると、突然電気が通った。

 (そういえば・・ある日の出来事である。
シドニー中心地のビルで、エレベーターのドアが開かない。しょうがないので隣のを使おうとしていたら、大きなご婦人がやってきて、開かないエレベーターのドアに体当たり。
するとドアは、おとなしく言うことを聞いて、開いたではないか!
もっと驚く事には、ご婦人は、ごくごく普通の顔をして、何事もないかのように、それに乗っていった。
「オッケー、ノープロブレム!ノー ウオリー!(なんてことない、大丈夫)」
の世界。これは、日本では、あまり見慣れない光景ではないだろうか。こういうカルチャーショックを、たまに受けることがある。)

 とにかく、唐揚げは無事できあがり、こちらの子どもたちには、どうだろう?と案じていたが、結構好評だったようだ。
パーティーが始まると、すぐに無くなって、「Good!Taiki!」と何人かのお友達が言ってくれたらしい。めでたしめでたし。

 1時からは、IECの終業式に(こちらは親の参加を呼びかけていたので)行ってみた。
1年間のうちに、IECの子どもたちはクラスを1から3まで上がっていく。そして、クラス3を終えた子どもたちは卒業して、晴れてHigh Schoolの普通クラスに入れるという仕組みになっている。
 うちの子たちは、まだクラス1だが(結局この一年間IECのクラスで終わりそうである)、今日は、クラス3の生徒たちのIECの卒業式でもあったので、その様子を見ることができた。

 式では、卒業証書をもらう時に、一人ずつスピーチをしていた。
内容は、自分の事、友達の事、オーストラリアと母国との違い、など様々だったが、12歳から17歳くらいまでの子どもが、自分の気持ちや考えを、はっきりと英語で伝えることができていて、感心した。
韓国が一番多く、その次が中国、あとはイラン、スロヴァキア、アフリカ、ギリシャ、タイ、など色々な国の子どもたちだった。
「来た時はとても不安で、友達もいないし、寂しかったけど・・」
という話をする子が多くて、この子たちは、どんな思いをしてがんばってきたのだろうと思うと胸がいっぱいになった。

 最後に卒業生たちが舞台に上がって、みんなで手話をしながら歌を歌った。cimg1009r_400

 

 子どもたちの話の中にもあったが、国籍の違う人達と一緒にがんばってきて、意見の違いにけんかしたり、共感したり、励まし合ったり・・たくさんの思い出ができたことだろう。このシーンを見ながら、なんだかジーンとしてしまった。
 わずか一年で、かなり英語が話せるようになっている子もいるが、本人の努力もさることながら、先生方の辛抱強さ、熱心さも、とてもよく伝わってきた。

 横に座ったお母さんはスロヴァキアから一年ほど前に来て、今日は子どもがIECを卒業するということだったが、
「ここの教育システムがとてもよかったから、息子が成長して、本当によかったわ・・。まだ2ヶ月なら、大変でしょうけど、子どもたちはきっと進歩していくわよ。がんばってね。」
と言ってくれた。式が終わってお母さんの所にきた男の子に
「卒業おめでとう!」
と言うと
「ありがとう!」
と言う、その笑顔がとてもステキだった。heart1

送別会

 この前の土曜日に遊びに来てくれたSさんが、「今度、日本に帰国するお友達の送別会をするので、こない?」と誘ってくれたので、出かけて行った。
 勿論、30分で行ける距離を、1時間半かけて行き、帰りは約2時間半かかるという、いつものパターン(どうしてか、迷うはずのない所でも、ちゃんと迷えてしまう)だったが、何とか往復できて、やれやれである。

 Sさんのところは、100年以上前に建てられた、趣のある家だった。
10人くらいの人が、一品持ち寄りで集まっていた。赤飯(ショートグレインの米を使って作ったという)まであって、びっくりした。そこにいたほとんどの人は、10年以上ここに住んでいるということだった。  

 この町(チャッツウッド)に『鈴木メソッド』でチェロを教えていらっしゃる先生がいらっしゃると、話には聞いていたのだが、その方の奥さんもみえていた。もう20年ほどオーストラリアに暮らしているという話だった。彼女は「自分の楽器はCDプレーヤー(のボタンを押すだけ)です」とおっしゃっていたが、色々な面で、とても聡明で優しい方だった。

 今回、日本に帰国するMさんも、約10年シドニーで暮らしていたが、ご主人の仕事の都合で帰国することになったらしい。
まだ、ここに残って暮らしたいのかと聞いてみると、上のお子さんが小学5年生なので、帰国するとしたら、ちょうどいい時期だと思う、そろそろ日本が恋しくなってきたし、永住するつもりはないので・・という話だった。
子どもさんは、家族が日本人なので、日本語は話せるものの、漢字をほとんど覚えていないので、中学生になってから、日本の学校に入るのは、かなり大変なのではないかとおっしゃっていた。小学生だと、違う環境の学校に馴染むのも早いかもしれないし・・という話だ。 

 ここに20年近く住んでいて、永住するつもりだという方の中には、日本に帰りたい気持ちもあって・・とおっしゃる方もいた。
やはり外国に永住するというのは、よっぽどの覚悟があっての事だと思うが、それがあっても、やはり言葉では言い尽くせない、いろんな思いをされていくのだろうな・・としみじみ感じた。そういうなかで、気持ちの通い合える、同じ国の友達というのは、本当に大切なのだと思った。

 まだ慣れない事がたくさんあって、大体いつも”ポジティブ(脳天気)” でありつつも ”ちょっと不安” 状態なのだが、少しずつ日本語が通じる(細かい意志の疎通ができる=安心できる!)人達と知り合えて、少し安心感ができてきた。
 明日も、学期の最後の日なので、小学校から『子どもにパーティーフードを持って来させてください』というプリントが来ていたのだが、何を持って行ったものやら・・と思っていたので、みなさんに聞いてみると、カップケーキや、パンにバターを塗って砂糖を散らしたもの、そんなものでいいのだと教えてもらえたので、助かった。hana1

ペットホテル

 もうすぐ休暇に入る。オーストラリアは広いので、あちこち行こうと思ってもいろいろと限界がある。
今回のホリデーには、この一年間での、最大の旅行をすることにした。
「ここだけは行ってみたい!」とみんなの意見の揃った場所。アボリジニの聖地、地球のへそ、ウルル(エアーズロック)だ。

 行き先、滞在先を確定した後に、さて、Popをどうするか?ということになった。
たまたま、先日テニスコートを貸してくれる家に、犬がいたので、Haruが聞いてみると、おばさんが、
「ここがいいわよ。犬を預かってくれるわ。」
とペットホテルを教えてくれた。

 行ってみると、そこは普通の一軒家で、大きな(100?はゆうにいきそうな)おじさんが出てきて、話を聞くと
「悪いけど、ここは、少なくとも一ヶ月前に予約してもらわないと、予約でいっぱいなんだよ。」
という返事。でも、困ってしまった私達を見て、
「近くに子犬なら預かってくれる所があるから、そっちに行ってみたらどうかな?」
と、その場所を教えてくれた。

 今度こそは!と期待して行ってみたら、なんと今度は動物病院だった。
受付の金髪のきれいなお姉さんは、すぐさま
「それなら、こちらでお預かりしましょう。お名前は?・・」
と、意外なほどあっさりと受けつけてくれた。
一泊11ドル(約千円)で、朝8時半から、夜7時まで、いつでも連れてきていい、という話だ。助かった・・。予防接種のことがあるので、入国する時の書類一式が、その時に必要らしい。シドニー大学卒業の先生のいる動物病院で、預かってもらえるのならば、安心だ。
 ペットホテルは、インターネットで探しても、行ってみないとわからないので、時間がかかりそうだ・・と思っていたのだが、ここなら安心!という場所が、テニスコートから始まって、みなさんの親切のおかげで、意外にスムーズに見つけることができて、本当に助かった。

 ちなみに、最初に行った家では、Aged Dogsの面倒もみているらしく、行ったときにも何匹か庭に出て遊んでいたが、犬たちのお世話は大変だろうと思う。

小学校の懇談

 6月末で学期が終わるので、ここ数日、個人懇談が開かれている。Taikiの懇談は今日の夕方だったので、Haruと二人で行ってきた。

 彼のいる、4Lクラスの担任は、ラズリーニ先生という大きな(背も高いが、体格もがっしりしている)男の先生だ。
「ラグビーか何か、されているのですか?」
改めて会うと、本当に大きいので、思わずHaruが聞くと、
「いや、ラグビーはやりませんが、ウエイトトレーニングをやっています。」ということだった。 

 さて、私達が、この一年間、Taikiに望んでいることは、とてもはっきりしている。
?オーストラリアで、いろんな人と接するという体験をすること
?言葉がほとんどわからない状態で、きっとストレスも大きいが、それでも楽しく過ごすこと
?英語は、ネイティブの発音を聞いて、生の発音に慣れて、できれば少ししゃべれるようになるとうれしい

 学校では、最初はとまどっていたが、今では、ポツンと一人でいる事はあまりなくて、 彼曰く
「ぼくね、グループの中にまぎれこんどうとって!」
ということだし、とにかく毎日、学校に行くのは楽しい様子なので、それだけでも充分満足している。

 懇談では、まず成績表のようなものを渡してくださって、先生がおっしゃったことは
「今、どういう状況かと言うと、時々取り出して、特別クラスで英語の勉強をしています。授業では、算数はよくできますが、その他の科目では、何といっても英語がわからないために、理解できないところが大きいですね。」
ということだった。しょうがないかな・・くらいに考えていたら、続いて先生は
「それで、まず、できれば電子辞書を彼に買ってあげてほしいのです。普通の辞書だと調べるのに時間がかかりすぎますし・・。それは大きな助けになると思うのです。
それから、土日などに、日本の方が教えている英語クラスに通って、英語の力を伸ばせば、グンと力がついてくると思います。」
と続けてお話をされた。授業中は、静かで、手をあげることもない。もしも英語がわかっていたら、理解できることなのに・・。という事を感じていられるようだった。
 ありがたかったのは、自分がもし彼の立場だったら・・という話し方をしてくださったことで、真剣に彼の力を伸ばしてあげたいと、心底思ってくださっている様子がよく伝わってきた。普段は穏やかで寡黙な感じなのだが、教育への熱意が感じられた。
「お友達とは、うまくやっているようで、安心しているのですが・・。」
と言うと
「それは、問題ありません。色々な子と関わって、楽しそうによく遊んでいます。」
とのことだった。

 私達は、英語の補講クラスを考えてみます、と言って 、先生にお礼を言って帰ってきた。
家に帰ってみんなで話し合ってみた。
やはり、私達にとっては、Taikiが学校で友達を作って、楽しくやっている、その事が一番大切な事だ。
土日に、違う学校に入って、又そこで違う先生、違う集団に合わせて勉強もがんばるというのは、本人も疲れ過ぎると言うし、確かにハードなことだ。
それで、結論としては、学校の勉強でわからなかった事とか、幼児向けの英語の教本とかを、土曜日の午前中に私と一緒に勉強することにした。

 先生からいただいた成績表というのは『2006 Mid Year Report』という表題で、中身はいくつかの項目に分けてあって、それぞれについてのコメントが書いてあった。
*READING  *WRITING  *HAND WRITING/BOOKWORK  *SPELLING  *MATHS  *SCUEBCE/HSIE  *PERSONAL & SOCIAL DEVELOPMENT  *CREATIVE AND PRACTICAL ARTS

 評価としては、礼儀正しく、熱心に勉強をしている。もし英語ができればもっと学力が伸びるだろう、ということだった。

Canteen

 今日は9時から2時までの、食堂の売店(Canteen)のお手伝いに行ってきた。毎日2人、もしくは3人が、交代で売店は動いているが、ボランティア運営なので、人手が足りなくなることがあるようだ。 
 どうしても人手が足りない、という事だったので「あまり力にはなりそうもないけど、とにかくできるだけやってみます。」ということで、お手伝いをさせてもらったのだが、楽しくて、ものすごく勉強になって、ものすごく疲れた。

 今日は、金髪のナーディンと黒髪のマイク夫婦が来ていた。(マイクは、初めて手伝いに来たようだった)ナーディンがとても真面目でしっかりした人なので、司令塔になって、私達二人を動かしてくれた。2人といっても私は5歳児程度の動きしかできなかったが・・。 
 何といっても、子どもたちが可愛い。それは世界共通のことだけど、光に透けるような瞳の幼い子どもたちは、見飽きないほど愛くるしい。肌の色は様々で、小さな声で恥ずかしそうに話す子、それを助けようとする子、大人並みの迫力で話をする子、色々だ。
「Can I Have ** please?」
「Thank you.」
おおむね礼儀正しく、丁寧な物言いをする子がほとんどで、気持ちがいい。

 仕事は、相変わらず結構多いのだが、ナーディン達は、前回のペアもそうだったが、感心するほど、絶え間なく、よく働く。基本的に、とても真面目なようだ。
 注文の袋が、1つわからなくなってしまった時など、オロオロして、本当にかわいそうなくらいだった。「一人、ランチがもらえない子がいると思うと、どうかなりそうよ・・!」結局、その袋は彼女たちがしばらく(先生との懇談で)いなくなった時、一人応援に来てくれていて、その人が注文がキャンセルになったので、ゴミ箱に捨ててしまっていた。それがわかった時の喜び方を見ると、本当に彼女は1つ1つの物事を大切にしてやっていくんだな・・と実感した。 一人応援にきていた、というのはこの売店をとりしきっているヴァージニアという、いかにも頭のよさそうな、てきぱきした東洋系の美女だった。

 売店の仕事で一番時間がかかるのは、サンドイッチ(ホットサンド)作り。
パンにバターを塗って具をはさみ、ホットサンドの機械に入れる、そして包むだけの作業なのだが、中身の注文の種類が多くて、それにきっちり対応するのだ。 
バターは塗らないで、とか、あれとこれとを一緒にして、とか、注文が結構細かくて、「これしかないのよ!」ではなくて、一人一人の好みに合わせる手間を全く惜しまないのは、すごいと思った。

 昼休みには、アイスなども売っていて、アイスキャンディーだけでも、マンゴー、トロピカル、アップル、レッドカラント、と種類が多い。朝は暖房がいるような気温でも、昼間には暑くなって、半袖になって走り回っている子もいて、やはりアイスはよく売れる。

 途中で、前回、手伝いの下見に行った時に働いていたキャサリンが、買い物を持って立ち寄って行ったが「You are brave!」と言って褒めて(多分・・もしかすると、あまりの無謀さに呆れただけかもしれないが・・)くれた。
 最後はそうじをして終わり。ご夫妻に、色々教えてもらったお礼を言って帰ってきた。

 約6時間の作業なので、家の事をする間もなくなるし、頭の中はいっぱいいっぱいになるし、実際には3分の1人前くらいにしか役には立てないが、又、どうしても足りなくて「とにかくHELP!」という事でもあれば、やっぱり行ってみるだろうと思う。とにかく、良い経験ができた。

♪『Believe』の思い出

 先週日曜日、教会で知り合ったSさんが、お子さんを連れて遊びに来てくれた。
お寿司屋さんをやっていらっしゃるご主人と、10年以上前に、夫婦でこちらに移住してきたとのこと。今は永住権を獲得するのは、とても大変だが、その頃は、今ほどは厳しくなかったし、寿司職人、という技能がものをいって、その当時は意外とらくに永住権が獲得できたらしい。
 息子さん(14歳)と娘さん(11歳)は、こちらで生まれ育ったので、家庭以外では英語を話すのがあたりまえの生活だ。
日本語も上手なのだが、『読み書き』は少し難しいところがある、というお話だった。小学校で習う漢字の数を考えても、確かに、外国にいて、英語で生活しながら、日本語を学び、なおかつ感じをマスターするのは、かなり大変なことだと納得する。

 こちらにチェロの上手な日本人の方がいらっしゃって、娘さんはその方にチェロを習っているということ。サッカーなど、スポーツが好きな、とても活発で可愛らしいお嬢さんだった。息子さんは、とても素直な好少年で、野球をやっていて、今度、日本に試合に行く、というのを楽しみにしているようだった。
 こちらでも、学校が終わってからの習い事というのは結構盛んなようだ。スポーツやダンスや、ピアノなど、やっている子どもは多い。だけど、Sさんいわくは、塾などに行かせるのはオーストラリア人より、アジア人の方が多くて、熱心だとのことだ。

 『SUSHI』という看板が本当にたくさんあるけど、覗いてみると、中国人がやっていることが多いような気がしていたので、聞いてみると、その通りだとのことだった。
材料にこだわって、すし飯に、新鮮な魚をのせて心をこめて握る、日本の寿司とはちょっと違う『SUSHI』を、売るのが上手な人達が、いろんな所で売っている。
『SUSHI』が、ポピュラーになって、気軽に買って食べられるのだから、それでいい、といえばいいのかもしれないが、こだわりをもったお寿司屋さんは、住み分けをしていかなければならない状況のようだ。

 ここに来て10数年経つけど、暮らしやすいし、人々は親切だし、移住してきたことに、やっぱり満足してらっしゃるようだった。
久しぶりに日本に帰ると、道行く人達の、歩く速度が速くて、びっくりした、とおっしゃっていた。

 音楽がお好きだというので、楽器の話の後、『アメージンググレース』を歌ってもらった。
外で遊んでいた子どもたちが戻ってきてから、みんなで一緒に『Believe』や、『涙そうそう』を歌った。
『Believe』という曲はご存じないようだったが、歌詞をコピーしたものを、Sさん達にもお渡しして一緒に歌うと、Sさん、歌詞に感動して涙ぐんでしまうシーンもあった。
この曲には、たくさんの思い出があるが、それが、また、ひとつ増えた。
 カラオケに時々行かれるようで、日本の歌は結構知っていらっしゃるようだった。きっと子どもたちにも、日本の歌を伝えたい、と思っていらっしゃるのかもしれない。
 楽器をやってみたいけど、難しくて・・でも、歌は大好きで・・というSさん。とても気さくで優しい人達と、ステキな時間が持つことができて、本当によかった。

  ☆  ☆  ☆  『Believe』      作詞/作曲 杉本竜一  ☆  ☆  ☆

  1.たとえば君が 傷ついて           2.もしも誰かが 君のそばで       

    くじけそうに なった時は             泣き出しそうに なった時は

    かならず僕が そばにいて            だまって腕を とりながら 

    ささえてあげるよ その肩を           いっしょに歩いて くれるよね

    世界中の 希望のせて              世界中の やさしさで

    この地球は まわってる              この地球を つつみたい                      

    いま未来の 扉を開けるとき           いま素直な 気持ちになれるなら

    悲しみや 苦しみが               憧れや 愛(いと)しさが

    いつの日にか 喜びに変わるだろう      大空に はじけて 燿(ひか)るだろう

    I believe in future             I believe in future

    信じてる                      信じてる

                                いま未来の 扉を開けるとき 

                                 I believe in future

                                 信じてる

「フアッツ マイヘット ?」

 チャイニーズマーケットに行くと、日本の食品などが、結構手に入るのだが、食べてみると、微妙に味が違っていることがある。
よく見ると、日本製ではなく、中国製であることも多い。
 店の中を歩いていて、日本での馴染みのある商品を見ると、思わず嬉しくなるが、たまに、「あれ?」と首をかしげることもある。     

「あ、バスマジックリン!こんな物があるんだ。ガラス拭き用のマイペットまで・・! 」
そう思ってよく見ると、『バスマジックノン』と『ガラス マイヘット』でした。・・残念!!
(この台詞は、きっと日本では、もはや、時代遅れなのだろうが・・)

 あまりの驚きに、店の人の目を盗んで、思わず盗撮してしまった・・。

 ラーメンなのかうどんなのかわからない、『ラーメンうどん』 というのもある。
(「どっちなのか、わからんとです・・。」というパターンも、今、日本で聞かれることはないのだろうか?)

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 そんなこんなで、チャイニーズマーケット、見て歩くだけで、結構楽しいものがある。

Kaoriパワー!

 朝、ご飯とお弁当の準備をしようとして、湯沸かし器のスイッチを入れると、スイッチがつかない。おまけに暖房もストップ!停電??
この家は暖房も全て電気でまかなわれているので、電気がこないと、ちょっと困ることになる。
今度こそ、ローソク生活だろうか?・・だがローソクで暖をとるには、一体何十本必要だろう?!icon-eek

 慌てて、他の部屋もみてみると、居間の一カ所だけコンセントが使えるが、あとは軒並みアウトだ。・・だけど何故?  
 とにかく子どもたちを学校に行かせなければならないので、パンと、リンゴetc.で朝食をすませる。お弁当には袋入りのパンケーキに蜂蜜を塗ったものと、ミカンを持って学校に送り出す。

 気温は10℃。暖房がないと、結構寒い。幸い日本から『ホッカイロ』を持ってきていたので、こんな時は助かる。
「気温が零下のロシアで、暖房の電気がこなくなったら、こんなもんじゃないよね。」とHaru。確かに、さぞかし、つらい事だろう。pen0-24
とりあえず、一カ所コンセントに電気がきているようなので、ストーブをつけることはできた。さて・・。
分電盤をチェックしたけれど、よくわからない。
とりあえず電話は通じるようだ。不動産屋に電話して、電気屋さんを手配してもらうのが妥当だが、業者さんは、一体何日かかるかわからない。

 というわけで、頼みの綱のKaoriさんに電話する。
「ブレーカーは落ちてない?・・そう。じゃ、ちょっと待ってて。電気屋さんに連絡してみるね。」
即座に対応してくれた。そして、電気屋さんが12時に来てくれることに!
(kamisama hotokesama kaorisama・・である!!)

 そして韓国人の電気屋さんがお昼に来て、分電盤をチェック。
この分電盤には、(日本だとブレーカー(レバー)が並んでいるが)古い家なので巨大なヒューズが並んでいる。
そのうちの『スペア』 と書いてあるヒューズが、実はスペアではなく、壁のコンセントへの配線だったようだ。それが切れていたということだった。
 ヒューズを取り替えてもらって、修理完了!やれやれである。pen0-02

 修理が終わってKaoriさんに電話でお礼を言うと、
「70ドルって言ってたけど、まけてくれるように言っておいたのよ。ちゃんとまけてくれた?」
とのこと。電気屋さんは
「The Ladyから言われているので、50ドルにしときます。」
と言っていた。なるほど、Kaoriさんのお力だったのだ・・!
(もしかすると、彼女は、ここの韓国人社会では、日本の「和田**子」さんのような存在なのだろうか?と一瞬思ってしまった。)
頼もしい人と知り合いになれて・・ありがたいことである。

 本当にKaoriさんのおかげで、どれだけ助けられているかわからない・・感謝しなければ・・!pen0-14

 そういえば、ホッカイロは、この国で手に入るのだろうか?いざという時のために 日本人がやっている店に電話してみると、置いてあるとの事だ!
よかった・・!

DESPERATE!

 毎週火曜日の夜『DESPERATE WIVES』という番組がオンエアされている。何組かの家庭の妻達が、いろんな問題を抱え、混乱していく様を描いていて、(教育的ではなく、子どもには向かないドラマ)まさに、DESPERATE(絶望的、追いつめられた)という状況になっていきつつあるようだ。ストレスからちょっと一息、という事でお酒を飲み始めた主婦が、だんだんアル中になっていったり、その息子はそれにうんざりして、だんだん荒れていったり・・どうなっちゃうんだろう?という感じである。

 全く違う話ではあるが、昨日のTaikiの学校のお便り(NEWS LETTER)に、『DESPERATE!』とあって、一体どうしたことかと見てみたら、 
「食堂の売店のボランティアが足りなくて、来週の月曜日は、閉鎖せざるをえないかも・・誰かが必要です!」というような事が書いてある。 
 こういうケースには、じっとしていられない因果な性分の私は、ドキドキしながら担当者に電話をしてしまった・・。
「あの、英語はできないんだけど、お手伝いができるかもしれません・・。」
担当者も、若干とまどっていたが、結局次の日(今日)売店の仕事を体験して教えてもらうことになった。

 Aiは、熱はなかったが、前例もあるので、今日一日学校を休むことにしていた。それで午前中Haruに家にいてもらい、Taikiと共に小学校へ。

 売店の仕事は、
?学校が始まる前に、売店の準備をする。(スナックを棚に並べたり、おつりの準備をしたり)
?ランチ、リセス(休憩時間)に必要な物の予約を受け付ける
??で予約するものを書いてもらった袋に飲み物を入れる
?サンドイッチを(ホットサンド)作る
?ソーセージロールや、パイなどを温める
?リセスの時間に来た人達に予約注文の品を配る、買いに来た人にはスナックなどを売る
?ランチ用の食事の準備(サラダを作ったり、カップラーメンを作ったり)
?ランチの時間に来た人達に予約注文の品を配る。買いに来た人にはスナックなどを売る

 今日は、ふたりのお母さんがお手伝いに来ていて、昨日担当の人から連絡を受けていたらしく、仕事の要領を快く教えてくれた。
気さくなお母さんたちで、状況を説明すると、ハイハイ、とどんどんリードして教えてくれた。わからない事を聞いても、わかりやすく、ゆっくり説明してくれた。

 やってみると、思ったより、注文が多いので、サンドイッチ作りに手間がかかった。(冷凍のパンを解凍し、バターを塗って、チーズや、ハムや、煮豆、スパゲッティー、コーンなどをはさむ。そしてホットサンドの機械で焼く。注文によって中身を変えるので、それを間違えないようにするのがちょっと大変。) 
 オーストラリアのお母さんたちは、簡単なサンドイッチ(パンにハムなどをはさむだけ)しか作らないから、ラクよね、みたいな話を聞いたり、読んだりしていたが、いやいや、そんなことはない。彼女たちは実によく働く。仕事が一段落、という時でも、洗ったり、片付けたり、何かしらしている。
 私は12時に帰ったが、あとの二人は一時過ぎまで、まだまだ働くようだった。

 帰りがけに、彼女たちに
「月曜日は、手伝いに来るけど、あまり助けにならないので、あと二人は、やっぱり必要だと思うけど・・。」と言うと
「そうね。慣れるまで時間がかかるわよね。担当者に電話しておくわ。でも、とても助けになったわよ、ありがとう。」
と優しい言葉。実際は子どもから注文を聞くのも、やっぱり難しくて
「ごめんなさい、何て言ってるのかわからないから、聞いてくれますか?」
とか何回も助けてもらっていた。

 とりあえず体験終了。
 帰ったらAiも元気で、結局1日熱は下がったまま。明日は元気に学校に行けそうだ。

2度目の呼び出し

 朝、キャンベラのハープの店から、プレゼントが届いた(ハープの絵のメモパッドとペン)。
この前「いつも何度でも」の楽譜を送った、そのお礼ということのようだ。楽譜は、とても気に入って、喜んでもらえたようで、本当によかった。
日本の音楽を、この国の音楽家が気に入って、レパートリーとして演奏してくれる、そう考えるだけでも何とも嬉しい話だ。

 一時過ぎに、学校から電話。Shouからで、Aiが具合が悪いので迎えに来てほしい、ということだ。慌てて学校へ。帰って熱を測ると微熱がある。そして夜になると39.5℃まで上がってきた。動くのもきつそうなので、とりあえず、解熱剤を飲んで寝ている。

 Taikiは回復して、とりあえず安定している。
今日は学校にアボリジニ(オーストラリアの原住民)の人が来て、変わった形のブーメランや槍投げを見せてくれたり、お話をしてくれたということだった。

 買い物に行って、図書館に寄ると、IECでAiと友達になった韓国人の女の子2人に会った。早退したAiの事を心配してくれていて、明日も多分学校へは行けなさそうだと言うと、ちょっと残念そうだった。優しい子が友達にいて、よかった・・。

 次に熱を出すのはShouだろうか???
とりあえず元気だけど・・。
彼も、昼休みに一緒に話したり、遊んだりする友達(クラスには男の子は韓国人と中国人だけで日本人はいないのだが・・)ができてきて、学校が楽しくなってきたようだ。

 ここでの生活に、少しずつ慣れてきてはいるものの、1日の気温の変化が激しいし、ちょっと油断すると、体調を崩しやすいだ。気をつけよう。