快晴
参加者: 野中,吉武,平田,田崎
走行距離: 230km (午前8時 ~ 17時40分)
記録:田崎
今回は久しぶりに5名が揃う事になっていた。しかし,前日になって武内さんからのメール。「バイク不調!いま、壱岐南小の前から押して帰ってきました(しんどい)。満タン、バッテリーは満充電、ライト、ウインカー点燈します。セルモーターは回っているようですが、エンジンが回らない。セルを回していると、タコメーターの回転が上がる。セルの動力がエンジンに伝わっていない???押し掛けすると一発でエンジンは動きます。さて?・・・しばらく頑張って、ダメなら連絡いたします。」同日夜のメールではバッテリーの寿命が尽きたとの事で「今夜は満月、雲ひとつ無い夜空です・・・明日は快晴ですね。それでは気をつけて行ってらっしゃい・・・次回よろしく」。武内さん,すみません,行ってきます。
と言う訳で,福重のナフコに4人が集合。福重のナフコを集合場所にしたのは,武内さんのご推薦で,目的地を西の方の「生月島」を有力候補と考えての事であった。一方で,平田さんが帆船航海実習船「日本丸」が門司港に停泊中で一般公開をしているとの情報を得られ,福岡市の中心部を西から東に突っ切って行かなければならないけど,なかなか無いチャンスなので,日本丸を見に行こうと提案され,北東にむかう事になった。
市内とは言え,日曜日の早朝,それ程の混雑もなく,市内の中心部を抜け3号線に入る。3号線を北東へ,しばらく走ると大渋滞。道の端をすり抜けながら走り抜け,渋滞の原因を発見。一番中央側の車線に乗用車が裏返しになってひっくり返っていた。警察官がその周りで忙しそうに実況検分を行っていた。その事故現場を通り過ぎたすぐあと,今度は道路の左わきに,一人の警官と主婦らしい女性が並んで座り,警官が乳児と思われる赤ちゃんを抱いていた。そしてすぐその先にはフロントがつぶれた乗用車が停まっていた。この事故が前の事故と関係していると考えるには少し距離が遠すぎる。多分,2つの事故が同じような場所で,同じような時間に発生したであろうと思われる。バイクで事故を起こすと落命の確率が高い。「交通ルールを守って,安全走行」を心掛けよう。
お昼前,門司港に到着。午前中の乗船の締め切り時間直前であった。早速日本丸に乗船。
見上げると高い高い4本のマストにはおびただしい数のロープが絡みつき,縄梯子が伸びていた。船の側面には避難用(?)のボートや浮き輪,そしてここにも多数のロープ。暫く行くとピカピカのエンブレム。そこにはT.S.NIPPON MARU 1984 と書かれていた。
船上には紅顔の美少年達が案内役を務めていた。商船学校の生徒達で実習生との事であった。暫く行くと甲板磨きの実演も行われていた。甲板磨きには半分に切ったヤシの実を使うらしい。2人の船員が子供たちに磨き方を教えていた。
門司港から関門トンネルをくぐって下関,火の山展望台に至る。火の山展望台からは門司,下関は勿論,皿倉山,宇部方面も展望できた。関門海峡は,古くは壇ノ浦の戦いの場であり,後には馬関戦争で無謀にも長州藩が英・仏・米・蘭4か国連合と戦った場であり,また,佐々木小次郎と宮本武蔵の決戦の場である巌流島も望め,しばし歴史の話題に花が咲いた。
ランチタイムは平家茶屋へ。関門海峡の流れ,其の上を行き交う船,聳え立つ関門橋など,眺めも絶品,料理も申し分ない。窓外の風景を眺めながらゆっくりとランチを楽しんだ。
平家茶屋から関門トンネルを再びくぐって九州へ。苅田町から香春町へ。香春町のジョイフルでティータイム。ドリンクバー付のケーキセットでしばし休息の後,帰途に就く。帰途は田川市を通り八木山バイパスへ。このあたりからは野中さんのお庭のようなもの。野中さんの先導で巧みに渋滞を避け,立花寺北の交差点の東側に出る。野中さんと田崎はこの付近で別れ,吉武さんと平田さんは都市高3号線の下の道を通って野方へ。
日本丸に乗船して感動し,下関で歴史のロマンに浸り,美味しい瓦そばを食べ,五月晴れの中を快走,楽しい230㎞のツーリングであった。
福重ナフコ → 国道3号線 → 門司港(帆船航海実習船 日本丸) → 下 関 火の山展望台 → 平家茶屋(昼食)→ 苅田町 → 香春町(ジョイフル)> → 田川市 → 八木山バイパス → 都市高速3号線側道 → 野方